4月1日の夜。
いつか、いつかとは覚悟していたが、なぜ、神様はこの日を選んだのだろう。
神様はいじわるだ。
約20年ぶりの通夜は、大好きな祖父だった。
電話で連絡を受けたが、行きの新幹線では実感が湧かず、斎場までの車中ではいつも以上に口が動いていた。
今、思えば、死と向き合うことが怖かった反動だろう。
久しぶりの祖父との対面は、柩の中。
最後に面会して以来の祖父の顔は、痩せこけて、別人のようであったが、一番印象的な大きな福耳は、唯一、変わっていなかった。
死化粧で薄紅色に染まった頬を見ると、話しかけたら返事をしてくれるのではと思う程、まだ生きているかのようで、つい期待したくなった。
しかし、そんな奇跡が起きないことを分かりきっているから言葉が出てこず、視えている現実と信じたくない思いに、胸が張り裂けそうになり、涙が一粒、二粒溢れると、気づけば止まらなくなっていた。
周りが見えなくなるほど、感情がこみあげてしまった時、私の左腕をそっと握っていた妹の右手がほんの少しぎゅっと力が入った。
その瞬間、目に涙を溜めていた妹の姿を見て、溢れていた涙がぴたりと止まった。
約20年前の通夜では、まだ赤子であった妹には殆ど記憶がない為、今回が死と向き合う初めての経験になっただろう。
その当時の自分と少しだけ重なり、泣き止むまで抱き続けてくれた母と同じ、私も、今は妹の悲しみを受け止める側であるのだと感じ、その時の精一杯の姉らしい姿でその場に佇んだ。
通夜が終わり、葬儀では柩にたくさんの花が並べられ、最後には祖父の大好きだったお酒を口にちょんちょんと。
祖父の周りに集まり、あの頃を思い出しながら話していると周囲には自然と笑みがこぼれ、悲しいだけではない別れもあるのだと思いながら、祖父の出棺を見送った。
死は年齢を重ねても、やはり辛いが、今回の祖父との別れは、幾分か気持ちが落ち着いていた。
引っ越す前に公園で撮影した祖父と祖母との写真。
社会人になってから初めてご馳走できたお寿司を祖母と仲良く食べる祖父。
大好きなシュークリームを持っていき、口にいっぱいクリームをつけながら嬉しそうに頬張る祖父の表情。
亡くなった時に後悔しないよう、生と死と向き合う覚悟を、泣き崩れていた20年前の自分から、少しだけ変われたのかなと。
私が、今の職業に就くきっかけを作ってくれた先輩が教えてくれた話がある。
「ありがとう」の反対は「あたりまえ」
漢字でありがとうを書くと、「有難う」=「有ることが難しい」
生きていることを当たり前と思わずに、自分の気持ちを素直に、常に感謝の気持を言葉にしていきたい。
生きている間に、大好きな人たちにたくさん「ありがとう」と伝えていきたい。
この気持ちがもしかしたら、5年、10年…過ぎていく中で、薄れていってしまうかもしれない。
だから、何かに書き留めておきたい。
そして、今後の人生において、誰かと出会い、恋をして、新しい命と巡り会えた時。
この思いを伝えていきたい。
また来年の満開の桜を見上げたら、きっと、この日のことを思いだすだろう。

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