【 京都郊外特集 〜宇治田原〜 】お茶の文化と歴史を辿る“ 日本緑茶の発祥の地 ”へ。

目次

Ⅰ,日本の茶文化のはじまり“ 宇治田原 ”

宇治田原の茶畑

“日本三大茶”と呼ばれる宇治、静岡、狭山はお茶の名産地として知られている。

宇治茶と聞くと宇治市をイメージする人が多いだろう。

しかし、その宇治茶の主要生産地であるのは宇治市よりも更に奥地にある。宇治駅からバスで向かうこと約30分。

美しい茶畑が広がる『宇治田原町』である。

緑茶の歴史を語る上で、宇治田原の存在なしに語ることはできないだろう。

Ⅱ,大福谷で茶摘みの体験

まずは実際に自分自身が茶摘みの体験をしてみたい!

農作業や畑仕事に興味があり、調べていたところ、大福谷で茶摘みの体験ができるという投稿記事を発見。

好奇心旺盛の性格を止めることはできず、思いついたら指が勝手に動いていた。

そして、茶摘みの当日。

まずは、茶摘みの基本から教わる。

「一心二葉」新芽の太陽がよく当たっている一番上の心葉とその下に続く二枚の葉をあわせて摘む。

実際に体験すると、この作業の難しさが分かる。

まずは大量にある葉の中から新芽を見つける。はじめは見つけやすいが、摘み続けていると、自分がどこを摘み終えたか、残りの新芽はどこにあるか…これが意外に見つからないのだ。

しかし、茶摘みのベテランにもなると、驚異のスピードで行うことができるとのこと…

慣れるまでに時間を要する作業だが、この作業が非常に重要で、新芽以外の葉や茶葉以外のものが混ざってしまうと、雑味が生まれてしまうのだ。

スピードを求められる作業ではあるが、丁寧さが必要不可欠な作業に、茶摘みの仕事の大変さを体感した。

茶農家の方々は、ここから目方や手揉み等のいくつもの手作業を行い、香り高いお茶が出来上がる。

茶摘みの高度な仕事ぶりが分かる1日となった。

宇治田原茶畑

この企画を立案してくださった、城州ゆたに山口製作処、茶農家の山口さん。

優しく、熱い想いを持つ山口さんの人柄から、日本だけでなく、世界各地で様々な方に応援され、愛されている“ 日本の茶文化 ”を支えているひとり。

茶摘みの体験中に、山口さんの茶農家としての志や熱意。お茶に対する深い愛情を感じ、今回の郊外特集第一弾の取材地にさせていただきたいと依頼したところ、快く引き受けてくださった。

城州ゆたに山口制作処 茶農家 山口さん

Ⅲ,茶農家山口さんから学ぶ、お茶の歴史。

まず、山口さんが案内してくださった場所は、元祖玄米茶を生産されている「髙田園」

家族のような仲の良さから、宇治田原という地域の温かさが見受けられる。

“元祖玄米茶” 高田園の高田さんと山口さん

髙田園には古くからの貴重な品が、数多く現存している。

一般家庭に茶の文化が普及したのは、大正から昭和前期の頃であり、下記の価格表は、昭和47年度のお茶の価格表である。

髙田園に現存する昭和47年度茶小売標準価格表

価格表から見て分かるように、昔から「玉露」は緑茶の中で最も高級な茶葉とされ、他にはない優雅な味わいが楽しめる。

実は、玉露の発祥の地も京都宇治である。

江戸の茶商・六代目山本嘉兵衛により、玉露は考案された。煎茶の栽培と違い、茶園をワラや寒冷紗等の化学繊維で覆う“被覆栽培”を行うことで、甘みのある茶葉を育てることに成功。

手間ひまをかけて栽培される玉露が最高級といわれるようになった、まさしく宇治茶の誇り高き名品である。

玉露の品質の高さを称える賞状の数々

また、茶文化の発展に貢献した宇治田原出身のもうひとりの人物。現在の日本緑茶の製法の礎を築いた永谷宗円。

15年の年月をかけて開発した“青製煎茶製法”。

この製法がなければ、現在の私たちの飲んでいるお茶は、色味や香り、味も全く別物であったといわれている。

栄西禅師や千利休など、有名な茶人に負けず劣らず、永谷宗円の功績は語り継がれるべき、まさに、宇治田原の英雄である。

復元された宗円の生家が湯屋谷に存在する。内部には、製茶道具や当時の焙炉跡が保存され、土日祝日のみ見学することができる。

(※平日は要問い合わせ。)

永谷宗円生家

その近辺には、茶祖の功績を称える全国の茶業者の崇敬を集める、永谷宗円を茶宗明神とした「茶宗明神社」が在る。

撮影時の雨天であったが、苔や木々を生き生きとしており、より神秘的で特別な空間に感じた。

宇治田原のパワースポットのひとつであろう。

茶宗明神社

Ⅳ,持続可能な茶業を目指す山口さんの想い

茶農家山口さんの目指す、今後の茶文化の発展とは…

 『 家業に本格的にたずさわるようになった今の自分の原点は何かと自分に問えば、

寂しそうに自分たちの代で伝統ある茶業が終わるのを見つめている人々、

その姿をそのまま見ていることは、この土地に生まれた者としてできなかった、ということが一つの答えだと思います。

煎茶発祥の地と呼ばれ、かつては繁栄を極めた湯屋谷にも、今は過疎化、お茶離れによる茶価低迷、後継者不足が忍び寄っています。

この風景、そこに生活する人々の息遣いがいつもそこにあってほしい。

失われつつある伝統と文化、その血脈が流れる実業としての茶業を絶やさず、伝え続けること。

その試みを持続可能なものとするために、時代の流れを鋭くとらえ、あらゆる可能性に挑戦すること。

そして、地域や家族、導かれるように出会った人々、まだ会ったことのない人々、

そして、もう会うことのできない途方もない昔から文化と命をつないできてくれた人々にも、喜んでもらえるよう。

まだ何も成し遂げてはいませんが、初心を違えず、前に進みたいと思います。 』

Ⅴ,宇治田原で感じた日本の魅力

茶摘みの体験や今回の取材を通して、茶摘みに一緒に参加された方々含めて、地域の方々と交流をもたせていただいた。

日本が好きで京都に移住したフランス人の方にお声掛けした際に、会話の節々に“日本愛”を感じた。

“茶文化” “神社仏閣” “日本庭園” “和食文化” …

現代の日本人から、かなり遠ざかっている日本の文化は、海外ではとても愛されている。茶文化に興味を持つのも、海外の人が多いのだ。

もしかしたら、私たち日本人より、日本を愛する海外の方のほうが詳しいのかもしれないと思う程、海外では歴史ある日本文化への興味が強く、愛も深い。

コロナ渦で、海外の旅行客が減っているが、またいつしか平穏な日常に戻ってきたら、その時は是非とも、京都で。

そして、宇治田原で日本の魅力を思う存分、感じてもらいたい。

そんな日が1日でもはやく来ることを願わんばかりである。

そして、茶農家山口さんとの出逢いは京都の郊外の魅力をもっと探索したいと思うきっかけへと繋がった。

今回、取材させていただいた宇治田原は“お茶の京都”とも呼ばれている。

他にも、京都には、“森の京都”、“海の京都” と呼ばれる町があり、自然の美しさを感じられる場所が点在する。

きっと何年かけても、京都の魅力は伝えきれないほど、様々な魅力で溢れている。

それは古くから残る歴史的建造物や文化のほかに、京都観光をより楽しんでいただく為にできたニュープレイス…

そこには、必ず人が居て、その人々もまた京都の魅力であり、宝である。

だからこそ、ひとりでも多くの方に届けていきたい。

「日本茶800年の歴史散歩」を体験しに、是非、一度、宇治田原へ足を運んでみてください。

まだ知らなかった京都の新しい瞬間に出逢えるかもしれない…

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この記事を書いた人

1997.03.10 岐阜出身
保有資格:京都検定3級
民族衣装文化普及協会初級認定講師
中型バイク・大型バイクの免許所持

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